川合治義つれづれのブログpart2

関市の市民活動家の日々

青春を過ごした街-2

覚王山日泰寺周辺

 マムシに咬まれたあとの腫れがほぼ治まった恵子さんが仕事に出かけるのを送って、名古屋市に行ってきました。赤紫から紫、さらには赤くなってきた頃には痒くなってきたようです。まだ15%増量という感じで腫れていますが、痛みはほぼなくなり今は痒いのだとか。

 

 今日は愛知大学を車道の歩道から見上げました。背中には三河屋があります。私はやったことがありませんが、三河屋は48年前には「満月焼き」や「焼きそば」などのジャンクフードと共に授業のコマの合間の麻雀のメッカでした。それにしても愛大の正門が東に面していたとは知りませんでした。高校生の見学が行われているようです。この校舎は法科大学院専用校舎だと思っていました。

f:id:heisei35:20200819202237j:plain

 地下鉄東山線覚王山駅です。ふもとの池下と比べると、丘、である分地下階段が深いので有名でした。東隣は本山駅で、環状線が走る前までは名大や愛知学院の学生の使う駅でした。

f:id:heisei35:20200819202726j:plain

 名電高校のそばの上野町の森永牛乳専売店の前に1年間、ここの覚王山売店で周辺の配達をしました。南は椙山女学園高校、西は千種警察署や古川爲三郎邸、北は日泰寺、東は末盛城(織田信秀の居城)と田代小学校周辺がテリトリーで、ほぼこの地図に含まれています。

f:id:heisei35:20200819203014j:plain

 この交差点は自分の庭のようなものでした。ホンダの軽トラに乗って牛乳を配達していると、上空をCBC東海ラジオのセスナが代わる代わる飛んで道路の交通情報を生中継したものです。本山交差点・末盛交差点・池下交差点、ラジオで聞いて見上げるとセスナがいるのでした。

f:id:heisei35:20200819203255j:plain

この末盛交差点への坂道は、下りきった左手に愛知学院大学の歯学部がありました。 

f:id:heisei35:20200819203819j:plain

 日泰寺は当時は縁日になると車が動かないほど賑わっていました。地下鉄の駅から500m近く歩いてみましたが、当時の建物は墓石店くらいしか思い出せませんでした。お寺もずい分整備され、あか抜けてきていました。

f:id:heisei35:20200819203855j:plain

 この寺の西のふもとに円空物で有名なお寺(鉈薬師・医王堂=張振甫創建)があるのですが、今回は行けませんでした。張振甫というのは明国からの渡来人で、かつて彼の名にちなんだ振甫プールというのが池下にありました。

f:id:heisei35:20200819204226j:plain

 名古屋市タワーマンションばやりですね。池下駅のそばに立つマンション、ヘリポートへ登ってみたいものです。印刷会社に勤めているとき一度だけ、部長のお供で伺った古川為三郎邸の脇のようです。

f:id:heisei35:20200819204506j:plain

 森永牛乳覚王山売店は無くなり、低層ビルに挟まれた駐車場になっていました。大塚耕平さんは国民なのか立民なのか、宣伝かーが置かれていました。まさにそこに私の世話になった牛乳屋があったのです。

f:id:heisei35:20200819205029j:plain

 そう言えばかつて松坂屋世襲経営者だった伊藤さんのお屋敷もありました。ここはかつては道路から戸口までずいぶん歩かされたものです。

f:id:heisei35:20200819205220j:plain

 超高級住宅街なのに、警察幹部宅爆弾事件、警察官の拳銃強奪事件、銀行支店長射殺事件など物騒な事件も多かったです。どこかの田舎モノがキョロキョロ歩いていることはきっとモニターされていたことでしょう。

 

 姫が池というため池のほとりの名古屋で一番老舗の高級マンション?「メゾン覚王山・月宮殿」は改修中でした。50年前に分譲価格が多分1000万円から、だったと思います。ここの配達も、当時からセキュリティーがうるさくて嫌なところでした。この台地の北の端に立つ名古屋市水道局の給水塔まだ健在です!

f:id:heisei35:20200819210052j:plain