川合治義つれづれのブログpart2

関市の市民活動家の日々

青春を過ごした街-1

千種公園の周辺

 名古屋に住む高校時代の友達に会いに、かつて勤めた会社の隣にあるらくだ書店へ行ってきました。私が4年半勤めて退職したあと、当時の専務が事業多角化の一環として創業した書店ですからかれこれ40年近くになる、けっこう流行ってる書店です。なんと当時の本社ビルは取り壊し作業が終わったばかりの更地でした。

 

 小一時間書店内の喫茶店で旧交を温めてから仲田方面へ北上し、長女が生まれた旧東市民病院の脇に差し掛かると、当時と全く違っています。防疫センターは無くなり、マンションのような病棟が道路わきにずっと続いています。東の外れ、元名古屋市立高等看護学校のあったところに名古屋市の新型コロナ対策の最前線を思わせるテントがありました。背中側は県立名古屋市盲学校です。

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 隣の若水中学校の校庭に何か実を付けた果樹がありましたが、なんでしょう。りんごかな?なんにせよ猿に盗られることはなさそうです!長女が生まれた朝、ここで飼育していた鶏がトキを告げたのを思い出しました。

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隣接の千種公園はとても広いです。南西の端でパチリ!

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北東の端でパチリ。

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 イチローさんの名電高校の交差点を東へ走ると、森永牛乳T専売店のあった上野町へ。お店のあとは2階建ての瀟洒な住宅になっていました。写真左端、3軒とも名札を見ましたがTさんではなかった。もう亡くなっていても不思議ではありません。私のあとには弟も大学卒業まで働かせて下さった親切なご夫婦でした。

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 谷口、砂田橋と北上し、かつて一宮の学習塾まで往復した矢田川庄内川の堤防道路を国道41号線の新川中橋まで西進。なぜか車が通りません。

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 左側にナゴヤドームが見えました。名鉄瀬戸線まではなぜか気味が悪いほど車が通らないので写真を撮りに車外に出られます。

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ここまでの写真の各地はかつての配達テリトリーです。

名鉄瀬戸線、往時はおんぼろで有名でした。恵子さんは尾張旭市にあった名古屋市立保育短期大学から街に出るときに使っていました。ただし途中には金城学院大学という超お嬢様大学があって、肩身が狭かったとか。

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 50年以上前に建設された矢田川縁の高層マンション。名古屋空港の滑走路が丸見えでしょうね。もちろん富野北アルプスから見えます。

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 兄は『家のために、少しでも早く働いて稼ぐ』ために関商工高等学校を卒業して川崎重工へ就職しました。私は高校3年の6月に母が亡くなって初めて、新聞奨学生として大学に行くことを決めました。立命館大学を滑っちゃったので、愛大に行きましたが、新聞屋さん、牛乳屋さん、酒屋さんのおかげでやっと卒業できました。

 

小説、関市立図書館の英語速読コーナーで借りてきたのがとても興味深いです。身につまされながら、少し涙ぐみながらゆっくり読んでいます。

 母は痴呆で何もわからなくなっている。姉は亡父のお気に入りでオックスフォードで学び弁護士、その夫は投資会社で働き、娘はケンブリッジ大学を目指している。親の愛情に乏しかった妹は結婚が行き詰まり職も失っている、一人娘は麻薬に溺れて自暴自棄。

 母の世話に忙しいのが妹! 姉夫婦は金儲けと華やかな社交に忙しくて母の世話など眼中にない。

 

 国は違っても悩みは変わらないのだな、と思わされる。

 

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