観客は少なくても素晴しかった
待ちに待った文楽の公演を恵子さんと一緒に見に行きました。新装なった文化会館大ホールに初めて入りました。コロナ対策で座席が制限されています。天井の格子が不思議な感覚を誘います。音響はずい分向上したのかな、と思います。
とは言え、やっぱり観客が少ない。開演5分前に98人、『ホールにおいでの方はご着席下さい。』の案内放送があったので110人くらいかな。
私たちの関は『か28とか31』金色のカーテンの席が太夫の席です。人形も面白かったが、すぐそばの太夫の歌い?が大変面白かったです。びっしょり汗ばみながらいくつもの声音を使い分けて絶叫調で歌う?オペラ歌手のような太夫の声がホール中に伝わりますが、変な反響がないのは新装工事のおかげなのでしょう。
午前中は床屋さんに行って散髪したあと、越美南線より南の豊岡町、弥生町、桜ヶ丘で350枚ほどさかぐち直人さんの政策ビラのポスティング。ちょうどやって来た長鉄の車両を背景に入れたつもりが、、、結構速い!とっくの昔に「行ってまった!」
関高校の正門前。手前の図書館と同窓会館の屋上は私が入学した昭和45年には立ち入り禁止でした。生徒会で要望を集約して、青山健吉校長に要望したらやっと上れるようになりました。
青山校長は東大出のエリートでしたが、『反動的』な方で生徒を縛るのが好きでしたね。校則で丸坊主とされていた男子の頭髪を「伸ばしても良い」と認められたのは時代の流れとはいえ、生徒会の活動があったことは間違いありません。
塚原さん、伊佐治君、沼田さん、八木さん、塚原君、渡辺君たちと一緒に生徒会執行部を務めた頃を、門の外から思いました。